作家・司馬遼太郎は、著書『この国のかたち』のなかで、「古来谷こそ日本人にとってめでたい土地」と書いています。農耕に適した谷間の土地には必ず集落があり、青々とした田んぼが広がり、秋になれば豊かな実りをもたらしてくれる。そんな日本の原風景が広がる谷間の土地を、芽出度い土地と評したのでしょう。『富士錦』を銘柄とする富士錦酒造は、創業元禄年間、富士山を望む美しい谷間に広がる集落「柚野(ゆの)」で、豊かな自然の恩恵を活かしながら、酒造りに励んでいます。蔵の裏手の田んぼは富士錦酒造所有のもので、酒造りのない夏の間、富士錦酒造の社員さんたちが、静岡県産オリジナル酒米『誉富士』を栽培しています。「地酒は地の酒ですからね、自分たちで育て収穫した酒米を使って、地元の水で酒を造る。まさにそれが理想ですが、まだまだ米の収穫量が足りません」「こうした取り組みは、地域の農家さんとの連携など、今後のテーマになると思っています」そう語る清信一社長の表情からは、300年以上続く老舗酒蔵の蔵元としての重みが感じられます。富士錦酒造と言えば、毎年3月中旬に開催される『柚野の里・富士錦蔵開き』が知られています。富士錦蔵開きは、毎年1万数千人もの人々が訪れる大イベントです。柚野は決して交通の便の良い場所ではありません。たった1日のイベントのために、電車やバスを乗り継いで、あるいは貸し切りバスを仕立て、はるばる首都圏や山梨県からも多くの人が訪れます。富士錦のお酒の美味しさはもちろんですが、来場者を迎える社員、里の皆さんの一生懸命なおもてなし、そして、棚田の奥にそびえる雪化粧の富士山。この素晴らしい体験と風景が、来場者の心をつかんで離さないのでしょう。ただ、この蔵開きイベントも、コロナ渦の影で2020年から自粛されています。一年でも早く再開できることを願っています。(2024年より再開)